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Notas do Editor
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- 今日はほんとうにありがとうございます。ロフトワークが10年、なかなか僕自身実感がありません。
あっという間の10年だったし、長かった気もします。
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あっという間の10年だったし、長かった気もします。
- 今日はほんとうにありがとうございます。ロフトワークが10年、なかなか僕自身実感がありません。
あっという間の10年だったし、長かった気もします。
- 今日はほんとうにありがとうございます。ロフトワークが10年、なかなか僕自身実感がありません。
あっという間の10年だったし、長かった気もします。
- 今日はほんとうにありがとうございます。ロフトワークが10年、なかなか僕自身実感がありません。
あっという間の10年だったし、長かった気もします。
- 今日はほんとうにありがとうございます。ロフトワークが10年、なかなか僕自身実感がありません。
あっという間の10年だったし、長かった気もします。
- 今日はほんとうにありがとうございます。ロフトワークが10年、なかなか僕自身実感がありません。
あっという間の10年だったし、長かった気もします。
- 今日はほんとうにありがとうございます。ロフトワークが10年、なかなか僕自身実感がありません。
あっという間の10年だったし、長かった気もします。
- 今日はこの10年のパーティにお越し頂いた皆さんにありがとうという気持ちはもちろんですが、10年たってみてどうなんだ?と振り返ったとき、どんな事を学んだんだろうと考えまし。その3つの事を10分ほど話をさせていただきたいと思います。
- 昔話になってしまいますが...
- 僕が最初に働いてた職場は、InterFMというラジオ局の立ち上げでした。
私はここで、何故かデザインの仕事をするようになり、フリーペーパーや広告をつくっていたりしました。立ち上げのドサクサにまぎれて、割と良い形で自分のために時間をかけて勉強をしていました。今考えると本当に寛容な会社というか環境だったと思います。
- 僕が最初に働いてた職場は、InterFMというラジオ局の立ち上げでした。
私はここで、何故かデザインの仕事をするようになり、フリーペーパーや広告をつくっていたりしました。立ち上げのドサクサにまぎれて、割と良い形で自分のために時間をかけて勉強をしていました。今考えると本当に寛容な会社というか環境だったと思います。
- それから数年後、恩も返さずに僕はNYに行きました。アートの勉強をしたかったのですが、デザイナーとして働いているような働いていないような...まあデザイナーなんてそんなものですが、NYをフラフラとしてました。
- それから数年後、恩も返さずに僕はNYに行きました。アートの勉強をしたかったのですが、デザイナーとして働いているような働いていないような...まあデザイナーなんてそんなものですが、NYをフラフラとしてました。
- それから数年後、恩も返さずに僕はNYに行きました。アートの勉強をしたかったのですが、デザイナーとして働いているような働いていないような...まあデザイナーなんてそんなものですが、NYをフラフラとしてました。
- それから数年後、恩も返さずに僕はNYに行きました。アートの勉強をしたかったのですが、デザイナーとして働いているような働いていないような...まあデザイナーなんてそんなものですが、NYをフラフラとしてました。
- それから数年後、恩も返さずに僕はNYに行きました。アートの勉強をしたかったのですが、デザイナーとして働いているような働いていないような...まあデザイナーなんてそんなものですが、NYをフラフラとしてました。
- それから数年後、恩も返さずに僕はNYに行きました。アートの勉強をしたかったのですが、デザイナーとして働いているような働いていないような...まあデザイナーなんてそんなものですが、NYをフラフラとしてました。
- それから数年後、恩も返さずに僕はNYに行きました。アートの勉強をしたかったのですが、デザイナーとして働いているような働いていないような...まあデザイナーなんてそんなものですが、NYをフラフラとしてました。
- でそんな時、ひさしぶりに林とNYで再会をしました。時は1999年、アマゾンやらGoogleやらが巨大化しつつあるころでした。ただまだデザイナーが自分のサイトを持っていないころでもありました。クリエイティブはまともに流通していない。流通していないクリエイティブをebayのように需要と供給を繋げたらどうか、そうやってはじまったのが
- でそんな時、ひさしぶりに林とNYで再会をしました。時は1999年、アマゾンやらGoogleやらが巨大化しつつあるころでした。ただまだデザイナーが自分のサイトを持っていないころでもありました。クリエイティブはまともに流通していない。流通していないクリエイティブをebayのように需要と供給を繋げたらどうか、そうやってはじまったのが
- でそんな時、ひさしぶりに林とNYで再会をしました。時は1999年、アマゾンやらGoogleやらが巨大化しつつあるころでした。ただまだデザイナーが自分のサイトを持っていないころでもありました。クリエイティブはまともに流通していない。流通していないクリエイティブをebayのように需要と供給を繋げたらどうか、そうやってはじまったのが
- ロフトワークです。ミッションは今と変わらず「クリエイティブを流通させる!」です。
ここらへんの顛末は皆さんご存知だと思うので省略しますが、こうしてロフトワークが誕生しました。
- 生まれはNYだったのですが、育ちは東京です。 最初のオフィスというか部屋?は神泉の11万円のアパートでした。
(しかも僕はそこにほぼ住んでいました(笑))
- それから10年、50人の仲間がいて、こうして沢山の人に応援してもらえる会社になったロフトワークなのですが、この10年の間に気がついたことがいくつかあります。
- 10年前、会社をつくるっていうことは今よりももっと簡単に考えていた事もあるし、同時に現実感もありませんでした。
会社が大きくなって、その経営をするってのはどんな事なんだろう?と思ったりすることもあって
- もしかして何かやる事っていうのはもっと変わってるのか?なんかこう指図をバシバシしているような
そうなのか?と思ったりしたりしたこともありました。こう、シマコウサクみたいな。。って課長ですけど、まあ要は色々空想でなんか変わるかなと」
- と思ってたんですけど、今でも全然かわらないんでしょね、同じ。驚くほど変わらないんです。
- デザイナーをしていた頃と特に変わらないんです。考えるプロセス、勉強の方法、何かを生み出す事が自分のミッションであること。ちっとも変わっていないんです。毎日マックの前に座っていること、それに何より頭の中の働きっていうのかなどう考えてどう結論をつくっていくのか。そういうことが全然変わらない。コミュニケーションをデザインするのもビジネスをデザインするのも同じだなあって思うんです。少なくとも僕にとっては頭の使い方はそっくりなんです。ただひとつの事を除いて。
- その只ひとつの事はデザイナーの頃は「ひとり」だった事です。自分の事、自分の仕事だけを考えればよかった。
- それが誰かと一緒の目的を持って働く。特にこう林がいるわけです。で、ご存知の通り林はああいう性格なので、まあパワフルなわけです。ちなみに2人で始められたことはほんとによかったと思っています。皆さんの中でも、もし起業をされる方がいたら、是非信頼できる誰かと一緒に始めることをおすすめします。
- それが誰かと一緒の目的を持って働く。特にこう林がいるわけです。で、ご存知の通り林はああいう性格なので、まあパワフルなわけです。ちなみに2人で始められたことはほんとによかったと思っています。皆さんの中でも、もし起業をされる方がいたら、是非信頼できる誰かと一緒に始めることをおすすめします。
- 話は戻りますが林だけじゃなく、ロフトワークに加わってきてくれたかけがえのない仲間。彼らと働くという事がひとりで働いていた頃と全然違います。とても楽しいことでもあるし僕にとっては難しいこともある。
- 責任みたいなものは増えていきましたけど、やっぱり楽しいことなんですよね。
- そしてこうして集まってもらったロフトワークを応援してくれる皆さんも。外交的な林と違って、僕は割と内向的な人間なのだけど、こうやって皆で繋がりをもてるっていうのは本当に嬉しいことだったと思っています。ロフトワークをはじめて本当によかったな、って思う事です。
- ただ、もともとは僕は内向的でさみしがりや、という中2病をもったまま大人になってしまったダメなところがあって、決して林のように外交的でなければ外交の才能も特にありません。
ここには結構古くから僕の事を知っている人もいるので、納得してもらえると思うのだけど...
- いや、昔の僕はひどいもんでした。自分で言うのもなんですが、こう一種の社会不適合者のようなもので。
- まず責任感が無い。それにいやな事だったり「くだらない」と思った事はしない、というか出来ない。
しかもやなことに、そこそこ勘が働いて、カンと才能で色々乗り切れちゃう。ほんとにバランスが悪い、こんな絵なんかおこがましい。
- まあこんな感じですかね。なもんだから、会社をやっているというと高校の頃の友人は今でも「信じられない」と言うんですね。あんなに責任感が無かったのにどーやって会社をやってるんだという気持ちなんだと思います。
- で何がいいたいかというと、僕自身まあ結構変わったのかもしれないと。最初に話した事と言ってる事が違うのだけど、僕からするとやってる事は変わっていないけど、やっぱりちょっと変わったこと、成長できたこともある。それは10年間一緒に働いてきた林がもっているインテグリティの強さや人を大切にすること。決めた事、正しいと思った事を変えないこと。そこから学んだもの。スタッフの皆と向き合って(きっと足りないって思われているのだけど)、向き合うことで学んだことや身につけたことがある。
- 他にもJoiやここにいる皆さんから学んだことは、知識だけではなくもっと根本的なことを学べたと思っているし、結果僕自身成長できたと思っている。だから最近ようやく「仕事はなんですか?」と言われて以前なら「えーっと...」と言っていたのですが最近は「経営です」ときちんと言えるようになった。僕の強み、ものを考えたり構造や戦略をつくったりすること。Joiみたいに遠い未来は見えないけど自分の能力を信じて未来を決める事。それが林のインテグリティと会う事でロフトワークというどこにも無いものをつくることが出来た。僕自身の成長だけではなく、スタッフ皆の成長や組織としての成長。ここにいる皆の成長とも同じように繋がっている事を信じている。
- 「変わらない」ということ、「仲間が増える喜び」、そして「成長」この3つが10年間で学んだことです。
そして次の10年。
- ここにいる皆さんにお約束したいのがこの3つを今後も大切にしていくということです。
- 変わらないこと。ロフトワークはクリエイティブを流通させる、事を目指して10年前につくられた。そこに留まり、なすべき事をする。それは楽しいことだし、守り続ける。そして僕自身、その自分の役割を大切にし、能力を磨きつづける。
そして仲間を大切にする。ここにいる皆さんも大切にし、より信頼をしあえる関係を築いて行く。僕は林ほどうまくはないかもしれないけど、皆さんとの関係を紡いで行く。
そして成長すること。僕自身もより優れた経営者として、そしてロフトワークはより良い組織として。そしてビジネスとしても成長する。このこの10年で学んだ大切な3つを、次の10年も守って行きたいと思います。
- 成長のひとつ。ロフトワークは今日、株主総会だったのだけど、株主総会で承認を得たものがあります。新しい事業です。ジャンルは教育。もちろんクリエイティブと繋がっています。これを今年から取り組み始めます。
どのようなアプローチになるかは、是非楽しみにしていてください。ロフトワークらしい、アプローチです。
- そして皆さん、今日はお越し頂きありがとうございます。これからの10年もよろしくお願いします。
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- 19:36~19:51ゲストトークショー
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