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1
阿南惟幾と終戦の決断
ポツダム会談から玉音放送まで
1945(昭和20)年7月~同年8月
2013.5.26最終更新
2
1945年8月15日 太平洋戦争終結
太平洋戦争の終結
空襲で焼け野原となった1945年当時の東京
3
戦闘員・非戦闘員合わせて310万人
太平洋戦争の日本人死者数
サイパン島
フィリピン
沖縄
グアム島
ニューギニア島
ガダルカナル島
広島原爆
長崎原爆
約2万人
約15万7千人
約2万人
約7万人
約9万人
約21万人
約48万人
約4万人
4
・ミッドウェー、ガダルカナルで大敗北したとき
・サイパンが陥落したとき
・フィリピンが陥落したとき
・沖縄が陥落したとき 等々……
⇒ 降伏できなかった背景には、
   大日本帝国の病理があった
なぜもっと早く降伏できなかったのか
5
○降伏の決断はどのようにしてなされたのか?
○なぜそれがもっと早くできなかったのか?
⇒ これらの論点から、
  「決断できない組織」の病理と
  その克服方法が示される
今回のテーマ
6
序章  降伏できない軍隊
第1章 ポツダム宣言
第2章 聖断
第3章 終戦の詔書
第4章 近衛師団の反乱
終章  8月15日の終戦なかりせば
序章 降伏できない軍隊
7
大日本帝国の病理
1 政府と軍部の権限関係
2 精神論の偏重
3 調整型かつボトムアップ型の意思決定
8
1 政府と軍部の権限関係
9
日本陸軍の父・山県有朋
「非軍人が軍に口出しすると
 ロクなことにならない」
例) 保元の乱における藤原頼長、
    大坂の陣における淀君 等々
山県有朋の思想
「シビリアン・コントロール」の真逆
⇒ 組織構成を、政府が統帥に口出しできない構造にした
10
天皇
政府(内閣)
外
務
省
統帥部
【国務】
陸軍省・海軍省……軍政(組織編成、予算、人事等)を担当。
【統帥】
参謀本部・軍令部……軍令(作戦立案、作戦実施)を担当。
大
蔵
省
陸
軍
省
・・・
参
謀
本
部
国務 統帥
政府・軍部の組織構成
海
軍
省
軍
令
部(
陸
軍
)
(
海
軍
)
11
首相などの閣僚が軍事に口を出すと、
軍部から「統帥権干犯」と非難された
※ 陸軍大臣・海軍大臣さえ軍令に口出しはできない
統帥権の独立
12
現役陸軍大将である東條でさえ、
軍令に関わることはできなかった
例) ミッドウェー海戦では4隻の空母を失ったが、
   国民には「大勝利」と嘘の発表
   東條もまた、ミッドウェー海戦の敗北は
   遅れて知らされた
例えば・・・
首相兼陸相・東條英機
13
軍部大臣現役武官制
「陸海軍大臣は現役の大将又は中将でなければならない」
⇒現役の大将又は中将は、陸軍省人事局が人事権を持つ
⇒陸相人事は、首相の一本釣りではダメで、
  陸軍省の了解を得なければならない
⇒陸相が単独辞任して、後任を推薦しないように
すれば、その内閣はつぶれる
※ 陸海軍省以外の大臣は、首相が選びさえすれば
省に拒否権はない
軍部が内閣を倒す権限
14
・第二次西園寺内閣
・宇垣内閣
 (組閣に至らず)
・米内内閣
これを悪用して倒された内閣
宇垣一成 米内光政西園寺公望
15
一方向的な権限関係
政府は軍部に口出しできない
軍部は政府に口出しできる
統帥権の独立
軍部大臣現役武官制
16
政府がどんなに降伏を望んでも、
軍部はそれを許さなかった
政府の無力
17
2 精神論の偏重
18
無敗の軍隊
日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦……
帝国陸海軍は建軍以来無敗であった
19
帝国陸海軍の根本は、
戊辰戦争時の明治新政府軍
(徳川幕府を倒し、天皇を盟主とするもの)
⇒ 建軍時には、天皇の神格性をことさら
   強調した精神論が必要だった
建軍の精神
20
・戦争は、負けと思った方が負けなのだ
・蒙古襲来のときは神風が吹いた
・天皇陛下ある限り、神州日本は負けない
精神論に偏った軍人教育
21
※ 「精神力は物質的威力を超える」の意
例: 歩兵操典(1928年)
軍紀至厳にして攻撃精神充溢せる軍隊は、
能く物質的威力を凌駕して
戦捷を全うし得るものとす
22
「戦争は、意志と意志の戦いであります」
「勝利は、あくまでも最後の勝利を固く信じて、
闘志を持続したものに帰するのであります」
「大和民族の精神力は、万邦無比であります」
例: 東條首相兼陸相の演説
東條英機
1944年施政方針演説より
23
軍人の心構えを説く陸軍大臣告示
「生きて虜囚の辱めを受けず」
⇒ 玉砕による死はあっても、
   生きて降伏はあり得ない
戦陣訓
24
「日本は負ける」と口にすると
「非国民」のレッテルを貼られ、
非難された
⇒ どんなに敗北が必至でも、
   降伏することができない軍隊となってしまった
敗北を口にできない空気
25
戦争初期のシンガポール戦で敗北した英軍:
 戦死者5000人、捕虜80000人
戦争初期のフィリピン戦で敗北した米軍:
 戦死者25000人、捕虜83600人
戦争末期の硫黄島戦で敗北した日本軍:
 戦死者22000人、捕虜212人
⇒ 米英軍は捕虜となることに抵抗がないが、
  日本人にはそれが許されなかった
例: 捕虜になれない日本軍人
26
3 調整型かつボトムアップ型の意思決定
27
軍部の誰か個人が独裁していたわけではない
政府や軍部内の意思決定は、
むしろ調整型でボトムアップ型であった
軍部の独裁といっても・・・
28
・全会一致が原則。反対のメンバーがいれば何も決まらない
・(大日本帝国憲法では)首相に他の閣僚の罷免権がない
・陸海軍は互いに口出しできない
・陸軍省・海軍省は軍令に口出しできない
・参謀本部・軍令部は軍政に口出しできない
「和をもって貴しとなす」の精神
29
首相、陸軍大臣、参謀総長、海軍大臣、軍令部総長の
それぞれが別個の権限を持ち、互いに干渉できない
しかも、組織内の大勢に逆らって
独断専行するトップはほとんどいなかった
⇒ 独裁が生まれにくい代わりに、
  責任の所在や権限者が不明確のため、
  重大な政策転換などの決断が困難
トップのいない政治・軍事
30
大日本帝国における天皇は、
全ての権限を有しているのではないか?
では天皇は?
31
⇒ 規定上は全ての権限を有する。
   しかし実際はそうではなかった……
天皇の位置付け
 大日本帝国憲法1条
 「大日本帝国は万世一系の天皇これを統治す」
 大日本帝国憲法11条
 「天皇は陸海軍を統帥す」
32
伊藤博文は、天皇の神格性と
近代的憲法の精神を融合させて
明治憲法を作った
⇒「君臨すれども統治せず」の精神
憲法55条
「国務各大臣は天皇を輔弼し其の責に任ず」
⇒ 天皇は国務大臣から進言された通りに
   国政を行うべきものとされた
立憲君主制
伊藤博文
33
昭和天皇が田中義一首相に
「辞表を出せ」と迫った
⇒ 総辞職後、元老の西園寺公望は天皇に
   「立憲君主制にあるまじき行為」と叱責
⇒ 天皇「この事件あって以来、私は
      内閣の上奏するところのものは
      たとえ自分が反対の意見を持っていても
      裁可を与えることに決心した」
天皇が国政に口を出した例
田中義一
34
以後、天皇が内閣の方針に反対する際には、
「……はどうなっているか」
など「御下問」を通して意見を示唆する
程度にとどめた……
※ 二・二六事件では例外的に、明確に鎮圧を求めた
それ以後の天皇
35
天皇は特に命じて
「不幸にして米英両国と戦端を開くに至る。
 誠にやむを得ざるものあり。あに朕が志あらんや」
の一文を挿入
 ※ 天皇にとって精一杯の抵抗であった
開戦時の天皇
東條内閣が日米開戦を決断
   ⇒ 「開戦の詔書」が作成される
36
このように、天皇に実際の権限はなかった
⇒ 天皇以外の者に権限が集中することもなかった
⇒ 権限は緩やかに分散され、
   大日本帝国はトップ不在の組織となった
トップ不在の組織
37
3つの病理
1 政府と軍部の権限関係
2 精神論の偏重
3 調整型かつボトムアップ型の意思決定
⇒ こんな状態で終戦に導くことはできるのか?
38
○ 狂信的な独裁者が一人で精神論を
  唱えていたのではなかった
○ 狂信的精神論は、末端の軍人に
至るまで一致した総意であった……
⇒ 粉砕するのは困難
軍部の強硬な精神論をどう打ち破るか
39
ドイツ・イタリアの場合
⇒ 1人の独裁者を失脚さえさせれば降伏できた
ヒトラー ムッソリーニ
40
降伏のための「キーマン」がいない
大日本帝国の場合
41
では日本降伏の決断は
いかにしてなされたのか?
今回のテーマ
42
終戦決定に関わった人々
内閣総理大臣
鈴木貫太郎
陸軍大臣
阿南惟幾
外務大臣
東郷茂徳
海軍大臣
米内光政
内閣書記官長
迫水久常
内閣情報局総裁
下村宏
昭和天皇
43
序章  降伏できない軍隊
第1章 ポツダム宣言
第2章 聖断
第3章 終戦の詔書
第4章 近衛師団の反乱
終章  8月15日の終戦なかりせば
第1章 ポツダム宣言
44
日本人の妻を持つ知日派外交官
「天皇制の存続を確約しない限り、
日本国民は降伏しないだろう」
⇒ 大統領に「天皇制存続を約束すべき」と進言
グルー国務次官の終戦構想
ジョセフ・グルー
45
アメリカ政府が委託して行ったアンケート
「日本降伏後、天皇をどうすべきか」
当時のアメリカ世論
傀儡として利用せよ
何もするな
裁判にかけよ
流刑にせよ
拷問し餓死させよ 36%
24%
17%
4%
3%
⇒ トルーマン大統領
 「こちらからわざわざ天皇制存続を言い出す必要はない」
46
戦後ヨーロッパにおける
ソ連の勢力を牽制すること
ポツダム会談始まる(7月14日)
イギリス首相・チャーチル
アメリカ大統領・トルーマン
ソ連首相・スターリン
対日戦争の方針を議論
米英ソそれぞれの目的は…
対日本戦にソ連を
参加させること
東ヨーロッパの
勢力圏を確立すること
47
トルーマンの思惑の変化
「もはやソ連が参戦しなくても勝てる。
戦後世界で主導権を握るためには、
むしろソ連が参戦しない方がいい」
⇒ 原爆投下を指示
アメリカが原爆実験成功(7月16日)
48
連合国による日本本土占領が条件とされ、
天皇制については触れられなかった
ポツダム宣言
49
ポツダム宣言を日本政府はどう受け止めたか
⇒  少し時間をさかのぼり、
   戦争末期の日本の状況を見ていこう
日本の反応
50
序章  降伏できない軍隊
第1章 ポツダム宣言
第2章 聖断
第3章 終戦の詔書
第4章 近衛師団の反乱
終章  8月15日の終戦なかりせば
第2章 聖断
51
2-1 米内海相の使命
52
1880年 岩手県生まれ
1898年 海軍兵学校に入学
1930年 鎮海要港部司令官
1936年 横須賀鎮守府長官として、
      二・二六事件の鎮圧に尽力
1937年 近衛内閣の海軍大臣に就任
米内光政のプロフィール
53
○ 無口
○ 説明不足で結論しか言わない
※ 地味な性格のため、当初は高い評価を
   受けていた人物ではなかった
性格
54
陸軍・右翼がドイツ・イタリアとの同盟を提唱
⇒米内「三国同盟は、アメリカとの戦争を招く」
海軍大臣として同盟に反対し続け、
右翼に命を狙われたことも
三国同盟に反対
55
海軍省トップ3がそろって三国同盟に反対
⇒ 米内は山本がテロの標的になることを恐れ、
   連合艦隊司令長官に異動させた
海軍省のトップ3
海軍大臣
米内光政
海軍次官
山本五十六
海軍省軍務局長
井上成美
56
平沼内閣の閣僚らが三国同盟を議論した際、
石渡荘太郎蔵相
「同盟を結ぶ以上、日独伊三国が、米英仏ソ四国を
相手に戦争する場合を考えねばなりません。
その際戦争は8割まで海軍によって戦われると思います。
海軍大臣の意見を聞きたいが、勝算はありますか?」
石渡蔵相の質問(1939.8.8)
57
⇒ 三国同盟は見送られる
⇒ 米内、陸軍の恨みを買う
米内海相の回答
勝てる見込みはありません。大体
日本の海軍は、米英を向こうに回して
戦争するように建造されておりません。
58
米内内閣が三国同盟に反対し続けたため、
陸軍が倒閣運動
⇒ 畑俊六陸軍大臣が単独辞任、
  後任を推薦せず
⇒ 米内内閣総辞職
⇒ 次の近衛内閣が三国同盟を締結
⇒ 次の東條内閣が対米開戦
内閣総理大臣への就任と辞任(1940年)
59
小磯内閣の副総理兼海軍大臣に就任
そもそも開戦に反対していた米内には、
戦争継続の意思はなかった・・・
再び海軍大臣に就任
1944年
60
小磯内閣は終戦工作に失敗
⇒ 鈴木内閣が成立
   米内は留任
戦時の海軍大臣として
内閣総理大臣
鈴木貫太郎
61
「日本人は世界で最も平和を愛する国民」
「私はかつて、
『太平洋は平和の海。これを軍隊輸送に
使えば日米両国とも天罰を受ける』
と演説した」
⇒ 小山亮議員
「神国日本に天罰が下るとは何事か。
わが国体への冒瀆である」
鈴木首相、議会での失言(6月9日)
62
米内、鈴木首相の不甲斐なさに落胆
辞意
こんなことでは終戦はおぼつかない
と辞意を固めた・・・
⇒ 他の閣僚に止められ辞意を撤回
   しかし、米内にとって鈴木内閣の閣僚らは頼りなく、
   終戦は程遠く感じた……
63
2-2 東郷外相の奮闘
64
1882年 鹿児島県生まれ
      出生時の苗字は「朴」
1886年 東郷姓に改める
1908年 東京帝大卒業。ドイツ語教師となる
1912年 外務省に入省
1937年 駐独大使に就任。日独伊三国同盟に反対。
1938年 駐ソ大使に就任
1941年 東條内閣の外相に就任
東郷茂徳のプロフィール
65
東條内閣の外相として日米交渉に当たる。
⇒ アメリカの対日石油禁輸を解除するよう
   交渉するが、決裂し開戦
開戦時の外相
66
日本中が緒戦の勝利に酔いしれる中、
東郷は外務省職員らに対し、
1942年の正月
「我々の力及ばず、不幸にも対米戦争と
なってしまった。かくなる上は、日本に
とって最も有利な時期に、戦争を
切り上げなければならない」
 東郷は、長期戦になると不利であることを見抜いていた
⇒ 1942年9月、東條首相と対立し外相を辞任
67
1945年4月 鈴木内閣発足
鈴木から「外相に就任してほしい」と懇請される
再び外相に
終戦を目的とした
内閣ならば、入閣する
※ 東郷は開戦の責任を深く自覚していたため、
   終戦こそ自らの責務と考えていた
68
○軍部に遠慮し、あえて
「降伏」ではなく「講和」と表現
○ソ連はカイロ会談で既に対日参戦を
  密約していたが、あえて日本の申出を
  拒絶せず、回答を先延ばし
※ ソ連は樺太や北海道を領有するため、
   日本に知られずに参戦の準備を進めていた……
ソ連に講和の仲介を依頼
69
1945年4月に日ソ中立条約の不延長通告
⇒ 有効期間は1946年4月まで
※  佐藤尚武駐ソ大使は、ソ連政府に
   何度も回答を催促するも返事なし
ソ連に仲介の意思はあるのか?
駐ソ大使
佐藤尚武
70
【ポツダム宣言本文】
われらは日本国に対し最終的打撃を
加える態勢を整えた。
この力を行使すれば、日本軍は完全に壊滅し、
国土は完全に破壊されるだろう。
ポツダム宣言発表(7月27日)
71
○日本国民を騙し、世界征服の挙に
 出た者たちの、権力が永久に抹殺されること。
○日本国領土は連合軍に占領されること。
 ただし、日本国における民主主義的傾向が
 復活強化され、言論の自由等の基本的人権が
 確立され、日本国民が自由に表明する意志に従って、
 平和的傾向を持つ責任ある政府が樹立された場合は、
 占領軍はただちに日本から撤収する。
○日本国の主権は本州、北海道、九州、四国
 その他定める島に制限されること。
○日本国軍隊は完全に武装解除されること。ただしその後軍人は
 各自の家庭に帰って平和的な生活を営む権利が与えられる。
○戦争犯罪人に対して厳重な処罰を加えること。
戦争終結の条件
72
外務省幹部会議で「受諾すべき」との結論
しかし
「ソ連の回答を待ってから受諾するべき」
との慎重な結論が出された
外務省の反応
73
⇒ 東郷の意見が容れられ、静観することに
閣議
しばらく静観するべき
はっきり拒絶するべき
陸軍大臣
阿南惟幾
外務大臣
東郷茂徳
74
⇒ 記者の質問に答えているうちに
  「黙殺する」と答えてしまう
記者会見
内閣総理大臣
鈴木貫太郎
この宣言はカイロ宣言の
焼き直しであるから、
政府としては重視しない
75
日本各紙「政府は黙殺」
アメリカ各紙「日本政府は拒絶した」
⇒ アメリカの世論が硬化
⇒ 原爆投下の理由付けができた
※ 実際には原爆投下命令は
   ポツダム宣言直前に出されていた
新聞報道
7月29日
76
佐藤大使、ソ連政府に
再び催促するが返事なし
⇒佐藤、東郷外相に電報
「国体護持以外の条件は付けず、
ポツダム宣言を受諾すべき」
佐藤の日記
「祖国の興亡この一電にかかるとさえ思われ、
書き終えて机に伏す。涙滂沱たり」
佐藤大使の電報
駐ソ大使
佐藤尚武
7月30日
77
広島に原爆投下
広島原爆投下
8月6日午前8時15分
我らが投下したのは
原子爆弾だ。降伏勧告に
応じない限り、原爆を
他の都市にも投下する。
アメリカ大統領
トルーマン
78
東郷の提案(8月8日)
東郷外相、鈴木首相に対し・・・
早期に閣議を開き、
戦争を終結すべきです!
⇒ 翌9日に閣議と最高戦争指導会議を
   開催することが決定
79
ソ連参戦(8月8日)
ソ連のスターリン、原爆投下の知らせに驚く
・このままでは戦後世界の支配権を
 アメリカに取られてしまう
・あくまでも日本降伏はソ連の力に
 よって成し遂げられねばならない
⇒ 日ソ中立条約を一方的に破棄し、
  対日宣戦布告を決定
ソ連首相
スターリン
80
佐藤大使への通告(日本時間8月8日午後10時)
佐藤、呼び出され
「ようやく和平工作の返事が来る」
と期待して出かける
⇒モロトフ外相
「明日から日本政府と戦争状態に入る」
⇒佐藤、急ぎ本国に電報を送るが、届かなかった
駐ソ大使
佐藤尚武
81
満州への侵攻開始(8月9日午前0時)
ソ連軍、満州に侵攻開始
⇒ 関東軍、なすすべもなく後退
⇒ 日本政府は8月9日午前3時、
外国の報道によりソ連参戦を知る
82
鈴木首相の決意
※ ソ連を仲介とした和平工作が失敗し、従来の
   政治常識からすれば総辞職が妥当であった
総辞職しますか?
いや、この戦は私の
内閣で終わらせる 内閣総理大臣
鈴木貫太郎
内閣書記官長
迫水久常
8月9日午前4時 ソ連参戦を聞く
83
天皇
政府(内閣)
外
務
省
統帥部
陸
軍
省
参
謀
本
部
国務 統帥
最高戦争指導会議(8月9日10時30分)
海
軍
省
軍
令
部
外務大臣
東郷茂徳
※ 国務と統帥の両方の
   責任者が一同に会する会議
総理大臣
鈴木貫太郎
陸軍大臣
阿南惟幾
海軍大臣
米内光政
参謀総長
梅津美治郎
軍令部総長
豊田副武
84
受諾方針
⇒ 受諾を前提とした話し合いが始まる
もはや受諾するほかない
各位の意見を聞きたい
内閣総理大臣
鈴木貫太郎
海軍大臣
米内光政
⇒ 各位、黙り込む
黙っていても仕方ない。無条件で
受諾するのか、こちらから条件を
付けるのか論じてはどうか
85
ポツダム宣言のポイント
 【ポツダム宣言本文】
 「日本国民を騙し、世界征服の挙に出た
  者たちの権力が永久に抹殺されること」
⇒ ・天皇制が破壊されるのではないか
   ・天皇が処刑されるのではないか
※ 日本人にとって、天皇制存続だけは
   譲れない一線であった・・・
86
東郷外相の提案
「天皇の国法上の
地位を変更しないこと」
という条件のみをつけて
受諾すべきです
外務大臣
東郷茂徳
87
阿南陸相の反論
・占領は小範囲、小兵力で短期間であること
・武装解除は日本人の手で行うこと
・戦犯の処罰は日本人の手で行うこと陸軍大臣
阿南惟幾
他に3条件が必要だ!
これは絶対に譲れない
最低条件である
88
1条件か4条件か
外務大臣
東郷茂徳
陸軍大臣
阿南惟幾
海軍大臣
米内光政
参謀総長
梅津美治郎
軍令部総長
豊田副武
1条件派
4条件派
鈴木首相は態度を明らかにしなかった・・・
89
東郷VS阿南
外務大臣
東郷茂徳
陸軍大臣
阿南惟幾
外交常識として、4条件では
連合国側が呑むとは思えない
この3条件を放棄して生き延びた
としても、大和民族は精神的に
死んだも同然である
拒絶されたらどうするのか
その時は一戦交えるのみである
勝ち目はあるのか
死中に活を求めれば、何らかの好機がある
90
東郷の孤軍奮闘
・米内海相は「東郷外相の意見に同意する」と
  述べつつも、多くを語らなかった
・鈴木首相は、会議前には「戦争を終わらせる」と
  言っていたのに、会議中ずっと黙っていた
⇒ 東郷はほとんど一人で阿南と立ち向かった
91
長崎原爆投下
まさに東郷と阿南が
議論を戦わせている最中、
長崎に原爆が投下される
8月9日午前11時2分
92
長崎原爆投下の報告(8月9日13時頃)
今日11時2分、長崎にも
原爆が投下されました
第3第4の原爆が来るかもしれない。
急いで講和せねばならぬ。
1条件でなければ講和はできない
このような威嚇に屈してはならぬ。
     4条件は絶対だ
総理大臣
鈴木貫太郎
外務大臣
東郷茂徳
陸軍大臣
阿南惟幾
93
持ち越し(8月9日13時過ぎ)
2時間半かかった最高戦争指導会議は、
全会一致の原則のため、
結局何も決められなかった・・・
⇒ 続けて閣議の開催
94
閣議(8月9日14時半~22時)
最高戦争指導会議と異なり、
ここでは阿南が孤立しながらも、
相変わらず4条件に固執
陸軍大臣
阿南惟幾
VS
1条件派4条件派
他の閣僚
95
御前会議開催へ…
閣議後、
鈴木首相、迫水書記官長に・・・
御前会議を開くから
用意してくれ
96
御前会議とは
○天皇の列席の下、首相・外相・陸相・海相・
  参謀総長・軍令部総長がメンバー
○最高戦争指導会議で決定した事項を
 オーソライズするための会議
⇒ 結論がないまま御前会議が
   開催されるのは異例
97
陸軍の懸念
陸軍省・吉積軍務局長
「御前会議を開くというが、何を決定するのか」
内閣書記官長
迫水久常
何も決定するわけではない。
現在の議論を陛下に聞いて
いただくための開催だ
98
御前会議始まる(8月9日23時50分)
外務大臣
東郷茂徳
陸軍大臣
阿南惟幾
海軍大臣
米内光政
参謀総長
梅津美治郎
軍令部総長
豊田副武
1条件派
4条件派
枢密院議長
平沼騏一郎
出席者: 最高戦争指導会議メンバー+平沼枢密院議長
⇒ 東郷と阿南が論戦し2時間が経過
99
阿南の弁論
死中に活を求める勇気を持って
進むべきである。
本土決戦には地の利があり、
人の和がある以上必ずや、
敵に大打撃を与え得ると確信している。
万一それができない場合には、
一億玉砕して、日本民族の名を
歴史にとどめることこそ本懐である。
陸軍大臣
阿南惟幾
100
鈴木首相の沈黙
御前会議でも、鈴木は
相変わらずほとんど無言
既に10日午前2時を回り、
会議は収拾のつく気配がなかった
しかし鈴木首相には
奇策があった……内閣総理大臣
鈴木貫太郎
101
2-3 鈴木首相の奇策
102
鈴木貫太郎のプロフィール
1868年 大阪生まれ
1884年 海軍兵学校入学
1897年 大沼とよと結婚(後に死別)
1904年 駆逐艦司令として日露戦争に参加
1915年 足立たかと再婚
1924年 連合艦隊司令長官
1925年 海軍軍令部長
103
足立たかのプロフィール
1905年 東京女子高等師範学校卒業後、
      宮内省に侍女として採用
     当時4歳の裕仁親王の養育係となる
※ 天皇「たかは、私の母親のようなもの」
1915年 鈴木貫太郎と結婚し、宮内省を辞職
104
鈴木、侍従長に就任(1929年)
鈴木は、天皇にとって母親代わりの「たか」の夫
⇒ 鈴木は天皇の厚い信頼を受けた
陛下とは親子のような関係だ
105
皇太子誕生(1933.12.23)
⇒ 内大臣、宮内大臣らが
  みな反対する中・・・
昭和天皇
親から離して養育する制度はやめてはどうか。
我が子に対する愛情を経験せず、どうやって
国民に対する本当の愛情が分かろうか。
鈴木貫太郎
悪しき伝統は断ち切るべき
結果的に天皇の主張は通らなかったが、
鈴木は天皇の厚い信頼を得た
106
二・二六事件(1936.2.26)
鈴木侍従長、反乱軍の襲撃を受け、
4発の銃弾を受け重体
⇒ たか夫人、宮中に電話し助けを求める
         ⇒  昭和天皇激怒
反乱軍を速やかに鎮圧せよ!
107
奇跡の生還
日本医大の塩田医師が派遣
しかし侍従長官邸の周りを反乱軍が包囲
⇒ たまたま反乱軍の歩哨が、塩田医師の
   患者だったため通ることができた
⇒ 弾丸が数ミリずれていたため運よく生還
⇒ 背中の弾丸は摘出不可能で、生涯摘出せず
108
太平洋戦争のさなか
東條内閣総辞職
次の小磯内閣も総辞職
⇒「次の首相には天皇の信頼の厚い者を」
⇒鈴木の名が挙がる
東條英機 小磯国昭
109
辞退
⇒  やむにやまれず承諾
なにとぞ、拝辞させていただきたい
もうほかに人はいない。
頼むから、まげて
承知してもらいたい
鈴木は当時77歳。閣僚の経験もない。
110
内閣総理大臣に就任(1945.4.7)
   敗北が明らかな状態での組閣
   組閣時、息子に「日本のパドリオになる」と明言
 ※ パドリオ:
   イタリアの独裁者ムッソリーニを倒して首相となり、
   連合国に降伏した人物
⇒ 鈴木には、自分の使命が「終戦」に
   あることが最初から分かっていた
111
密命を帯びて
  下手に終戦を口にすると、陸軍から倒閣される
⇒ 首相就任後、「終戦」「講和」などは
   一切口にせず、閣僚たちにも「徹底抗戦」と明言
⇒ 東郷外相にさえ本音を打ち明けず、
終戦の機会を窺ってきた
※ 最高戦争指導会議や御前会議でずっと黙っていたのは、
   終戦のための「秘策」があったため
112
御前会議
鈴木首相、立つ
内閣総理大臣
鈴木貫太郎
既に長時間に渡って論議を重ねましたが、
結論を得ることができません。しかし
事は極めて重大、一刻の猶予も許さない
状態にあります。前例もなく、おそれおおい
極みではございますが、この際、陛下の
思し召しを伺い、聖慮をもって会議の
結論といたしたく存じます
113
迫水書記官長の回想
緊張した空気の中で、鈴木総理は静かに
まっすぐに陛下の玉座の前に進み、
大きな体を低くかがめて丁寧に最敬礼をされた。
私はこの一連の総理の動きを今も眼前に
鮮やかに思い出すことができる。
それは美しいと形容するのが一番
ふさわしい光景であった。
内閣書記官長
迫水久常
114
聖断
天皇「もう意見は出尽くしたか」
⇒ 一同、反応なし
天皇「それならば私の意見を言おう。私は
    外務大臣の申していることに同意である」
白川一郎作「聖断」
115
天皇のことば
私としては、忠勇なる軍隊の降伏や
武装解除は忍びがたいことであり、
戦争責任者の処罰ということも、
その人たちがみな忠誠を尽くした
人であることを思うと耐え難いこと
である。しかし、国民全体を救い、
国家を維持するためには、この
忍びがたいことも忍ばねば
ならないと思う
116
聖断という奇策
・「天皇は権威のみを持ち決断権を持たない」という
 立憲君主制の不文律を破る奇策
・4対3の僅差で多数決をとっても陸軍は
 納得しなかったと考えられる
・天皇自らの決断ならば、陸軍は反対できない
117
聖断の背景
昭和天皇と鈴木の信頼関係
・7年間に及ぶ侍従長経験
・天皇の母親代わりである「たか」の夫
⇒ 天皇に聖断を依頼し、軍部を
   欺くための打合せを行える人物は、
   鈴木しかいなかった
118
聖断後、閣議再開
1条件で受諾する旨を閣議決定
⇒ 天皇が決定したのではなく、
  「天皇の意見を踏まえて閣議で決定した」
  という体裁をとった
※ 8月9日午前4時から10日午前4時まで、
   77歳の鈴木首相は一睡もしなかった
8月10日午前4時
119
連合国への回答(8月10日)
「右宣言は、天皇の国家統治の大権を
変更する要求を包含しおらざることの
了解の下に受諾す」
1条件で回答
120
アメリカ政府の検討
いや、日本側の条件を受け入れ
た形にはしたくない。改めてこちら
から提案した形にしたい。
スチムソン陸軍長官
バーンズ国務長官
日本はこのような苦境にあっても、
まだ天皇制存続にこだわっている。
この際認めてやるべきではないか
121
ソ連の横槍
アメリカ、回答案をソ連に協議
⇒ソ連「占領はアメリカ・ソ連から1人ずつ
     司令官を派遣することとしたい」
⇒アメリカ側、「論外だ」と拒否
122
バーンズ回答(8月12日)
「天皇及び日本国政府の国家統治の権限は、
連合国最高司令官にsubject toするものとする」
バーンズが作成した連合国回答
123
subject toの解釈をめぐって
普通に訳すと「従属」
外務省:
 陸軍を刺激しない訳文を考え、
 「制限下に置かれる」と翻訳
陸軍省:
 最もセンセーショナルな「隷属」と翻訳
124
閣議(8月13日)
8月13日午後の閣議で、
バーンズ回答を受諾するか議論
125
阿南の主張
陸軍大臣
阿南惟幾
天皇が連合国に隷属するなど
承諾できない。
天皇の地位は保障されるのか、
再度照会すべきである
126
受諾か再照会か
⇒ 受諾か再照会かをめぐり、
   閣議は再び決裂……
外務大臣
東郷茂徳
再照会は交渉決裂を招く。
このまま受諾すべきである
127
大西軍令部次長の狂気
⇒ 梅津参謀総長と豊田軍令部総長は
  暗澹として何も答えなかった・・・
軍令部次長
大西瀧治郎
陛下に、こうすれば勝てるという案を
上奏した上で再考いただかねば。
今後、二千万の日本人を
殺す覚悟で、これを特攻として
使えば、決して負けることはない。
128
海軍中将・大西瀧治郎
・「特攻の父」と呼ばれるが、特攻を
 創始した人物かどうかは疑義あり
・「俺も後から行く」と言い614名の
特攻隊員を送り出した
⇒ 8月16日切腹
   介錯を拒み半日以上苦しんで
   死んでいったという……
129
なす術なし
何も決められず8月13日が終わった・・・
⇒ しかし、御前会議の開催には
   参謀総長と軍令部総長の花押が必要
⇒ 一度騙し打ちしているため、陸海軍とも
御前会議開催に反対していた
再度の聖断を仰ぐほかない
130
鈴木のアイデア
⇒ 異例ではあるが、天皇が召集するという
   開催方法は一度だけ実績があった
⇒ 参謀総長・軍令部総長の花押は不要となる
8月14日午前5時
そうだ! 陛下のお召しによる
御前会議という方法がありました!
131
御前会議開催(8月14日午前11時半)
東郷外相: 受諾論
阿南陸相: 再照会論
をそれぞれ説明・・・
VS
外務大臣
東郷茂徳
陸軍大臣
阿南惟幾
132
第二の聖断(8月14日正午頃)
国体問題についていろいろ危惧もあると
いうことであるが、要は信念と覚悟の問題で
あると思うから、この際そのまま受諾してよろしい。
陸海軍の将兵にとって、武装解除や保障占領と
いうことは耐えがたいことであることはわかるが、
わたし自身はいかになろうとも、わたしは国民の
生命を助けたいと思う。この際、わたしのできることは
なんでもする。わたしが国民に呼びかけることが
よければいつでもマイクの前にも立つ。陸海軍将兵は
特に動揺も大きく、陸海軍大臣は、その心持を
なだめるのに、相当困難を感ずるであろうが、
必要があれば、わたしはどこへでも出かけて
親しく説きさとしてもよい。
133
受諾決定
  こうして二回の聖断により、
  ポツダム宣言受諾は決まった
※ これは、天皇の全幅の信頼を集めた
   鈴木貫太郎にしかできない難業であった
134
序章  降伏できない軍隊
第1章 ポツダム宣言
第2章 聖断
第3章 終戦の詔書
第4章 近衛師団の反乱
終章  8月15日の終戦なかりせば
第3章 終戦の詔書
135
3-1 迫水書記官長の奔走
136
迫水久常のプロフィール
1902年 東京生まれ
1925年 東京帝大卒業後、大蔵省に入省
      岡田啓介海軍大将の娘・万亀と結婚
1934年 岡田内閣の首相秘書官に就任
1936年 二・二六事件に遭遇
137
二・二六事件での迫水1
陸軍の一部が反乱を起こし、首相官邸を占拠
⇒ 反乱軍「岡田首相を討ち取った」と声明
⇒ 迫水秘書官、反乱軍と交渉し
  遺体と対面することに
首相官邸を襲撃した
栗原安秀陸軍中尉
襲撃された
岡田啓介首相
138
二・二六事件での迫水2
迫水、
「この遺体は総理ではない!」
と仰天
※ 反乱軍は誤って岡田首相の
   義弟・松尾大佐を殺害していた
遺体と対面
岡田啓介首相(左)
松尾伝蔵大佐(右)
139
二・二六事件での迫水3
       悲しむ演技をしながら、反乱軍に
       悟られないよう首相を捜索
※  岡田は女中部屋の押し入れに隠れ、生存していた
反乱軍300名が占拠する首相官邸から、
首相をどう救出するか?
⇒ 憲兵と協力し、決死の救出作戦を敢行
「官邸に弔問客を入れ、弔問客に紛れて脱出させる」
140
二・二六事件での迫水4
迫水、反乱軍に
「総理の葬儀を行わせてほしい」と交渉
⇒「弔問客は10名まで」との条件つきで承諾を得る
⇒「できるだけ男の年寄りを10名集めろ」と指示
⇒弔問客に紛れて岡田脱出
141
その後の迫水
鈴木内閣発足に当たり、
岡田元首相の推薦により内閣書記官長に就任
⇒ 就任当初から、鈴木内閣の
   使命は終戦にあると理解
142
準備
終戦の詔書 ⇒ 迫水が起草
連合国宛て電報 ⇒ 東郷が準備
内閣書記官長
迫水久常
外務大臣
東郷茂徳
143
「終戦の詔書」の起草
  迫水にはたまたま漢文の素養があった
⇒ 御前会議での天皇の言葉をもとに、迫水が起草
⇒ これが玉音放送の原文となる。
  14日午後4時には案文完成。僅か3時間。
144
終戦の詔書 1
 朕深く世界の大勢と帝国の現状とに鑑み、
非常の措置をもって時局を収拾せんと欲し、
ここに忠良なる爾臣民に告ぐ。
 朕は帝国政府をして米英支蘇四国に対し、
その共同宣言を受諾する旨、通告せしめたり。
【ポツダム宣言を受諾した旨の説明】
145
終戦の詔書 2
 そもそも、帝国臣民の康寧を図り、万邦共栄の楽しみを共にするは、
皇祖皇宗の遺範にして朕の拳々おかざるところ、先に米英二国に宣戦
せる所以も、また実に帝国の自存と東亜の安定とを庶幾するに出で、
他国の主権を排し領土を侵すがごときはもとより朕が志にあらず。
しかるに交戦すでに四歳を閲し、朕が陸海将兵の勇戦、朕が百僚有司
の励精、朕が一億衆庶の奉公、各々最善を尽くせるにかかわらず、
戦局必ずしも好転せず。世界の大勢、また我に利あらず。
しかのみならず、敵は新たに残虐なる爆弾を使用してしきりに無辜を
殺傷し惨害の及ぶところ、真に測るべからざるに至る。しかもなお、
交戦を継続せんか、遂に我が民族の滅亡を招来するのみならず、
ひいて人類の文明をも破却すべし。かくのごとくんば、朕何をもってか
億兆の赤子を保し、皇祖皇宗の神霊に謝せんや。これ、朕が
帝国政府をして共同宣言に応せしむるに至れる所以なり。
【受諾した理由の説明】
146
終戦の詔書 3
 朕は帝国とともに終始東亜の解放に協力せる諸盟邦に対し、
遺憾の意を表せざるを得ず。帝国臣民にして戦陣に死し、
職域に殉じ、非命に倒れたる者、及びその遺族に想いを致せば、
五内為に裂く。
かつ、戦傷を負い、災禍をこうむり、家業を失いたる者の厚生に
至りては、朕の深く軫念するところなり。思うに、今後帝国の受くべき
苦難はもとより尋常にあらず。爾臣民の衷情も朕よくこれを知る。
しかれども、朕は時運のおもむくところ、耐えがたきを耐え、
忍びがたきを忍び、もって万世のために太平を開かんと欲す。
【同盟国への謝罪】→【国民への思い】
→【苦難を忍んで平和を望む旨を説明】
147
終戦の詔書 4
 朕はここに国体を護持し得て、忠良なる爾臣民の
赤誠に信倚し、常に爾臣民とともにあり。もしそれ、
情の激するところ、みだりに事端を滋くし、あるいは
同胞排擠互いに時局を乱り、ために大道を誤り、
信義を世界に失うがごときは、朕最もこれを戒む。
よろしく挙国一家子孫相伝え、かたく神州の不滅を信じ、
任重くして道遠きを思い、総力を将来の建設に傾け、
道義を篤くし志操をかたくし、誓って国体の精華を発揚し、
世界の進運に遅れざらんことを期すべし。
 爾臣民、それよく朕が意を体せよ。
【暴発の戒め】→【復興に力を尽くすよう指示】
148
終戦の詔書案をめぐって
「朕が陸海将兵の勇戦、朕が百僚有司の励精、
朕が一億衆庶の奉公、各々最善を尽くせるに
かかわらず、戦勢日に非にして」
⇒阿南陸相「『戦勢日に非にして』とはけしからん」
 ・これまでの大本営発表が嘘だったということになる
 ・負けたのではなく、現在好転しないだけである
⇒阿南の修正案「戦局必ずしも好転せず」
149
米内VS阿南
事実負けたではないか。
陸軍はこの期に及んでまだ
国民に嘘をつくつもりなのか
個々の戦闘には負けたが、
まだ決着はついていない
フィリピンでは40万、沖縄では10万
以上が死んだ。それを局地戦に
過ぎないと言われるのか
陸軍はまだ、本土に多数の兵を
擁している。まだ戦うことはできる
海軍大臣
米内光政
陸軍大臣
阿南惟幾
150
迫水の努力
閣議の司会進行は迫水の仕事
⇒ 折衷案を提示したり、出典を
   調べたりしながら、話を進めた
151
案文修正
⇒「義命」の意味が分からないとして、
  「時運のおもむく所」に変更
⇒連合国に神器を取り上げられるおそれが
  あるので削除
「朕は義命の存する所、耐え難きを耐え」
「朕は…常に神器を奉じて爾臣民と共にあり」
152
最終的に
「戦勢日に非にして」
については、米内が妥協し
「戦局必ずしも好転せず」
で決着
153
清書へ
詔書案は内閣事務官が清書
天皇の読み上げ原稿は宮内省事務官が清書
「録音の際、陛下がこれをお読みになられる。
録音班も昼から待機している。急いでくれ」
4時間遅れで、午後7時に詔書決定
154
詔書を清書する際のルール
天皇の御名御璽が7行分
⇒ 右に7行残して終わらせるための
   字数計算が必要
155
清書上の誤り
清書を終了して読み合わせ中、誤りが発覚
「敵は新たに残虐なる爆弾を使用して
頻りに無辜を殺傷し惨害の及ぶ所」
を
「敵は新たに残虐なる爆弾を使用し惨害の及ぶ所」
と記載
⇒ 今から書き直したのでは、その分
  連合国への回答が遅れる
⇒ やむなく右に書き足して処置
156
決裁
閣僚らの詔書への副署と御名御璽が完了
⇒ ただちに連合国に電報送信
午後9時過ぎ
157
録音準備
15時から待機させていたNHK録音班が
ようやく呼ばれる
NHK会長:    大橋八郎
NHK国内局長: 矢部謙次郎
158
3-2 下村総裁の名案
159
下村宏のプロフィール
1875年 和歌山県生まれ
1898年 東京帝大卒業後、逓信省に入省
1915年 台湾民政長官
1921年 退官し朝日新聞社の役員となる
      ラジオ放送で社会評論を行い名声を得る
1937年 貴族院議員
1943年 NHK会長
160
ラジオ演説の名手
隠岐諸島を訪問した際、
隠岐から出たことがないという女性が
京言葉を口にしたことに驚く
⇒ 下村「ラジオの影響は絶大だ」
    「ラジオは、声による新聞である」
⇒ ラジオによる報道に力を注ぐ
161
第二の聖断での天皇発言
 国体問題についていろいろ危惧もあるということであるが、
要は信念と覚悟の問題であると思うから、この際そのまま
受諾してよろしい。陸海軍の将兵にとって、武装解除や
保障占領ということは耐えがたいことであることはわかるが、
わたし自身はいかになろうとも、わたしは国民の生命を助け
たいと思う。この際、わたしのできることはなんでもする。
わたしが国民に呼びかけることがよければいつでもマイクの
前にも立つ。陸海軍将兵は特に動揺も大きく、陸海軍大臣は、
その心持をなだめるのに、相当困難を感ずるであろうが、
必要があれば、わたしはどこへでも出かけて親しく
説きさとしてもよい。
⇒ 天皇は14日時点で自らラジオ放送しても良い旨を語っているが、
   もちろん天皇が発案したものではなかった
162
下村の構想
   下村は2時間に渡って天皇に拝謁
⇒  このとき、「天皇自らラジオ放送する」
   という構想を天皇に上奏
8月8日
163
「おそれおおい」との意見
○ 天皇の声をラジオで流したことはなかった
○ 1928年の陸軍特別観兵式で、天皇の声が
  たまたまマイクに乗ってラジオに流れてしまい、
  大問題になったこともある
⇒ 下村は天皇に直接上奏し、了承を得る
164
放送時間をめぐって
情報局総裁・下村宏
陸相・阿南惟幾
外相・東郷茂徳
第一線将兵を納得させるのに
時間がかかる。16日にしてほしい。
連合国に今夜中に回答
するので、国民にも一刻も
早く知らせた方が良い。
15日午前7時が良い。
朝7時では聴取率が悪い。
15日正午が良いと思う。
165
録音作業開始
宮内省にて録音作業開始
天皇
「声が低くうまくいかなかったから、
もう一度読む」
    といい、テイク2へ
午後11時半
166
玉音盤の保管をめぐって
NHK・矢部局長
「渋谷のNHKに深夜に持ち帰るのは
危険なので、明朝まで宮内省で
預かってほしい」
宮内省・筧総務課長
「宮内省総務課には適当な
保管場所がないので、
侍従の方に保管いただけないか」
167
保管場所
徳川義寛侍従が預かり、宮内省1階の
皇后宮職事務官室の軽金庫に保管
⇒ 徳川侍従は強奪の心配は
  していなかったものの、何となく、
  上に書類をうず高く積んだ
※ この偶然が玉音放送の運命を決した
侍従・徳川義寛
168
阿南、鈴木を訪問
8月14日午後11時過ぎ
阿南陸相、別れの挨拶のため
鈴木首相の執務室を訪問
169
阿南の実像
これまで終戦を妨害する
悪役であった阿南陸相
しかし阿南の
真意は違うところにあった……
170
3-3 阿南陸相の腹芸
171
阿南惟幾のプロフィール
1887年 大分県生まれ
1900年 陸軍広島地方幼年学校に入校
1929年 侍従武官
1937年 陸軍省人事局長
1939年 陸軍次官
1941年 第11軍司令官として長沙作戦を指揮
1942年 第2方面軍司令官として
      ニューギニア西部の戦いを指揮
1945年 陸軍大臣に就任
172
陸相就任
 陸相就任まで、阿南の経歴に見るべきところはない
⇒ 戦闘の指揮は下手だったが、
   誠実な人柄で部下の評判が良かった
侍従武官時代、鈴木侍従長との関係も良かった
 ※ 阿南の陸相就任は、鈴木首相が望んだことだった
陸相には阿南君をいただきたい
173
米内を慰留(1945.6)
米内海相、鈴木首相の不甲斐なさに呆れ、
辞意を表明
⇒ 阿南、米内に手紙を出す
6月
海軍大臣
米内光政
海相が辞任されては大変だ
何としても思いとどまってもらう
⇒ 米内、辞意を撤回
174
吉田を釈放(1945.6)
外交官吉田茂、終戦工作を行い
憲兵に逮捕される
⇒ 阿南、憲兵司令官に
   釈放を命じる
6月
外交官
吉田茂
175
辞職せず
閣議中、太田耕造文相が
「閣内不一致だから総辞職しては」と提案
⇒ 閣僚ら、不安気に阿南を注視するも阿南動かず
8月9日
176
「単独辞任」という武器
陸相が辞任し、後任を推薦しないと……内閣を倒閣できる
 陸海軍大臣は現役の大将又は中将でなければならない
⇒現役の大将又は中将は、陸軍省人事局が人事権を持つ
⇒陸相人事は、首相の一本釣りではダメで、
  陸軍省の了解を得なければならない
※ 軍部以外の大臣は、首相が選びさえすれば
  省に拒否権はない
軍部大臣現役武官制
177
阿南が辞任すれば
「(阿南が)簡単に席を蹴って
辞表を出せば、余の内閣などは
たちまち瓦解して
しまうべきものであった」
鈴木貫太郎自伝
178
安井国務相への発言
安井「阿南君、ずいぶん苦しいだろうな」
8月10日
しかし、絶対に辞職はしない。
国を救うのは鈴木内閣だと思う。
最後まで鈴木総理と
事を共にしていく
179
阿南の真意
米内を慰留したこと
吉田を釈放したこと
辞職しなかったこと
安井国務相への発言・・・
これらから判断して、阿南は個人としては
終戦を望んでいたが、あえて陸軍を代表して
強硬な意見を述べていたと考えられる
180
松谷秘書官の証言
陸相秘書官・松谷誠大佐の証言
「私が『国体護持以外は無条件で終戦すべき』と
進言したところ、阿南閣下は……
そのとおりだが、私がそれを口にすると
影響が大きいので、外部や若い者
には言わないことにする
……とお答えになった」
⇒ 阿南の「徹底抗戦」とは腹芸だったことが明らかに
181
なぜ本心を隠し、強硬な主張をしたのか?
陸軍軍人らは強硬だった
阿南に辞職を迫る者、
クーデターを迫る者等々……
⇒ 阿南は彼らの暴発を
   食い止めなければならなかった
182
クーデター計画
「省部内騒然。和平を破砕せんとする空気あり。
鈴木、迫水、米内、東郷らを葬らんとする者あり」
事実、クーデターは計画されていた
竹下正彦中佐の日誌(8月11日)
183
陸相訓示
8月10日朝  阿南、大臣室に将校を集めて訓示
御前会議の場で、私が主張すべきことは十分
主張した点については、諸官は私を信頼して
くれていると信ずる。
この上はただ大御心のままに進むほかはない
184
クーデター企図者への戒め
一糸乱れず団結しなければならない。
一人の無統制が国を破る因をなす。
あえて反対の行動に出ようとする者は、
まずこの阿南を斬れ!
185
迫水の証言
⇒ 迫水「クーデターを防ぐための阿南さんの
       腹芸だったのではないか」
8月13日午後の閣議中
阿南は離席して陸軍省に電話
閣議においては、諸君の意向が逐次
閣僚に了解されつつある。諸君の意図が
閣議において了解される希望も十分あるから、
諸君はしばらく静かに待っておるように
186
偽命令
朝日新聞記者が迫水に
「このような発表があったが事実か」と問合せ
「皇軍は新たに勅令を拝し、
連合国に対し作戦を開始せり」
⇒迫水、阿南陸相と梅津参謀総長に問い合わせ
  偽命令と発覚
8月13日午後4時
187
クーデターの相談
竹下中佐が阿南にクーデター計画を持ちかける
「閣僚を監禁して陛下に直接上奏し、決意変更を迫るべし」
⇒ 阿南のコメントは・・・・・・
8月13日夜
具体性が足りない
・・・・・・肯定も否定もせず
188
阿南の腹芸がなかったら
  もし阿南がクーデター計画を
  頭ごなしに否定していたら……
⇒ 阿南が殺害されていた可能性もある
※ 阿南が殺害されたら、後任の陸相が出せず、
   鈴木内閣は崩壊……。終戦は遠のいてしまう。
   阿南はまだ殺されるわけにいかなかった
189
腹芸は必要だった
○ 阿南は徹底抗戦派の者たちに理解を
 示す演技をすることで時間を稼ぎ、
   説得のための時間を確保する必要があった
○ 最高戦争指導会議で強硬意見を述べ、
   陸軍軍人たちの「ガス抜き」をする
   必要があった
190
阿南、鈴木を訪問
8月14日午後11時過ぎ  阿南、鈴木の執務室を訪問
これまで陸軍の意思を代表して、
ずいぶん強硬な意見を申し上げた
ことをお詫びいたします。
総理をお助けするつもりがかえって
対立を来し、閣僚としては甚だ
至りませんでした
陸軍大臣
阿南惟幾
総理大臣
鈴木貫太郎
そのことはよく分かっております。
私こそ、あなたの率直な意見を
心から感謝し拝聴しました。
みな国を思う情熱から
出たものなのですよ
191
最後の挨拶
阿南、葉巻を取り出し、
「これは南方からの届け物であります。
私はたしなみませんので、総理に吸って
いただきたく持参しました」
と言って敬礼し退室
鈴木「阿南君は、暇乞いに来てくれたんだね」
⇒ 事実、これが生きた阿南を見る
  最後の機会となった
192
序章  降伏できない軍隊
第1章 ポツダム宣言
第2章 聖断
第3章 終戦の詔書
第4章 近衛師団の反乱
終章  8月15日の終戦なかりせば
第4章 近衛師団の反乱
193
4-1 反乱開始
194
クーデターの首謀者たち
陸軍省軍務課
椎崎二郎中佐
陸軍省軍務課
畑中健二少佐
陸軍省軍務課
井田正孝中佐
近衛師団参謀
古賀秀正少佐
近衛師団参謀
石原貞吉少佐
195
東部軍管区と近衛師団に
クーデター参加を呼びかける
クーデター計画
天皇
東部軍管区
(首都圏を防衛)
近衛師団
(皇居を防衛)
このとき東京にいた部隊は以下のとおり
畑中らの計画
東部軍司令官
田中静壹大将
近衛師団長
森赳中将
196
東部軍への説得工作
畑中、クーデター参加を募るため東部軍司令部へ
⇒ 東部軍・田中司令官、畑中を一蹴
8月14日午後3時
東部軍司令官
田中静壹大将
何しにきた。貴官の考えて
いることは分かっとる。
何も言わず帰れ!
197
森近衛師団長への指示
田中司令官、森近衛師団長を呼ぶ
かかるときには陛下の争奪が
起こるやもしれぬ。
近衛師団の任務は重大である
東部軍司令官
田中静壹大将
近衛師団長
森赳中将
198
井田中佐を説得
畑中少佐、井田正孝中佐にクーデター参加を呼びかけ
畑中少佐 井田中佐
ともに決起しましょう!
私は、陸軍の全将校が
美しく自決するのが
良いと思う
⇒ 井田中佐、拒否
199
芳賀連隊長を説得
畑中少佐、近衛師団第二連隊長・芳賀豊次郎大佐に
参加を呼びかけ
「陸軍大臣、参謀総長、近衛師団長全員が了解済み」
と嘘をつき、芳賀はすっかり騙されて同意
⇒ 残るは森赳師団長の説得が必要
200
再び井田中佐を説得
森師団長と懇意なのは井田中佐……
畑中少佐
近衛師団は、師団長閣下以外は全て同意
いたしました。森閣下さえ同意いただければ
直ちに決起いたします。
井田中佐殿が説得しても森師団長が
動かないときは、きっぱり諦めます。
井田中佐
やれるだけやってみよう
201
4-2 近衛師団長の死
202
井田による森説得
8月15日午前0時過ぎ
理屈はどうあれ、陛下のご意思に
反する行動は許さん
⇒  議論は平行線 森師団長
井田中佐
形骸に等しい皇室が残っても無意味です。
パラグアイは人口の8割を失うまで戦いました。
神国日本が本土決戦を行わず降伏するなど、
特攻に散った英霊を欺くことです。
203
森の決心
⇒井田「師団長にここまで言わせたのだから、
     参拝の結果が否であっても満足だ」
諸君の意図は分かった。
私はこれから明治神宮へ行く。
神前にぬかずき、
最後の決断を授かろうと思う。
近衛師団長
森赳中将
204
井田退室
森「水谷参謀長の意見も聞いてみるように」
⇒ 井田、近衛師団参謀長の
  水谷一生大佐を訪ねるため、一旦退室
205
畑中とすれ違う
廊下に出ると、畑中少佐がちょうどやってきた……
畑中少佐 井田中佐
首尾はいかがですか
うまく行くかもしれない
師団長室の中で待て
206
畑中の入室
⇒ 畑中、逆上する
陸軍省軍務課
畑中健二少佐 近衛師団長
森赳中将
師団長閣下、決起
いただけるのですね!
そんなことは
言っていない!
畑中少佐、入室するや否や森師団長に……
207
殺害
畑中、森師団長を銃殺
⇒銃声を聞いた井田中佐と水谷参謀長、
  慌てて師団長室へ
       畑中、震える声で
陸軍省軍務課
畑中健二少佐
時間がなかった。仕方なかったんです
→井田と水谷
「とりあえず東部軍に知らせなくては」
と師団司令部を退去
208
偽命令の作成
畑中少佐・椎崎中佐はあまりのことに呆然……
⇒近衛師団の石原参謀は落ち着き払って、
  偽命令の作成を始めた
偽命令「宮城の全ての出入口を封鎖せよ」
209
宮城封鎖
芳賀連隊長ら、偽命令に基づき出入口を封鎖
⇒ 宮城は外部と完全に遮断される
210
東部軍起たず
井田中佐・水谷参謀長 東部軍に到着
○顔面蒼白の水谷参謀長、
 森殺害を報告した後倒れる
○井田中佐「東部軍にも何卒決起願いたい」
 ⇒ 井田中佐、逆に説得され断念
211
下村総裁拉致(午前1時過ぎ)
反乱軍、坂下門を出ようとする自動車を発見
「下村情報局総裁とNHK矢部局長がいる」
との報告を聞き、畑中少佐、拉致するよう指示
⇒ 下村ら、兵舎に監禁
※玉音盤をNHKで預かっていたら、
  このとき反乱軍の手に渡っていた……
情報局総裁
下村宏
212
偽命令発覚(午前2時過ぎ)
近衛師団の将校が田中司令官の元に現れ、
「不審な命令が出たので相談に来ました」
⇒「反乱軍は森師団長を殺害した上、
  偽命令を作った」と判明
これは偽の命令ではないか!
東部軍司令官
田中静壹大将
213
田中司令官の決意
⇒「田中司令官まで
  殺されるわけにいかない」
  と側近に止められる
⇒とりあえず不破博・板垣徹の
  2人の参謀を派遣して
  様子を探らせることに
東部軍司令官
田中静壹大将
直ちに鎮圧に向かう!
214
4-3 玉音盤をめぐる攻防
NHK博物館に展示されている玉音盤
215
捕虜への尋問
下村総裁とNHK幹部ら、
一人ずつ呼び出され尋問を受ける
216
古賀少佐、矢部局長に尋問
古賀「録音は終わったのか」
矢部「はい」
古賀「録音盤はどこにあるか」
矢部「宮内省に預けました」
古賀「誰に渡したのか」
矢部「侍従の方です」
古賀「侍従の名は」
矢部「初対面だし名乗りませんでした」
217
玉音盤の捜索開始
宮内省の部屋を1つ1つにしらみつぶし
家具を破壊しながら捜索作業が続く
218
徳川侍従との遭遇
徳川侍従、廊下で反乱軍の将校と遭遇
将校、兵に「こいつを連れてゆけ」
侍従・徳川義寛
どこへ連れて行くのか?
行く必要などない!
219
問答
  将校「玉音盤の場所を知っているか」
  徳川「知るものか」
⇒将校、徳川侍従の態度に怒り
  「貴様は日本人の精神を持っているか」
⇒徳川「君たちだけが国を守っているわけではない」
⇒将校、徳川侍従を殴打
220
皇后宮職事務官室
宮内省内に1階の皇后宮職事務官室の
軽金庫も捜索される
⇒ 上に書類が積もっていたため、発見できず
221
玉音盤を求めて
宮内省の全ての部屋を捜索したが発見できず
⇒ もしかすると玉音盤は御文庫に……
※ 天皇のいる御文庫は、宮内省から
   約500メートル離れている
222
御文庫へ……
畑中少佐、兵力の一部を御文庫に転進させる
「とりあえず御文庫の前で待機せよ」
※ さすがの反乱軍にとっても、
  御文庫に乱入することには抵抗があった
223
侍従らの混乱
  御文庫の前に機関銃が並べられた
  「いよいよ兵が御文庫に入ってくる」
⇒戸田康英・三井安彌侍従ら、対応を協議
 「とにかく陛下をお起こしして現状をお伝えせねば」
224
天皇起床
戸田・三井、天皇を起こし、
「近衛師団の兵たちが武装して
 御文庫を占拠しようとしています」
8月15日午前6時過ぎ
225
天皇の決意
⇒ 侍従らが必死に止める
よし、兵たちを庭に集めよ。
私が出ていって、兵に
私の心を言って聞かせよう
226
天皇の嘆息
天皇、藤田侍従長に・・・
藤田、一体あの者たちは
どういうつもりであろう。
この私の切ない気持ちが、
どうしてあの者たちには
分からないのであろうか
227
4-4 鎮圧
228
不破・板垣の偵察
2人の東部軍参謀、不破博と板垣徹
反乱軍の占拠する宮城へ
⇒制止を振り切り近衛師団司令部に入る
229
石原との対面
 石原参謀を発見し、「偽命令を作ったのは貴様か」
⇒石原、軍刀に手をかけ2人を威嚇
⇒板垣「こいつに構わず、師団長閣下を探そう」
230
死体発見
師団長室の前の歩哨に制止される
⇒石原「構わん。お通ししろ」
⇒2人の参謀、師団長の死体を確認
231
井田、宮城に戻る
 ⇒  井田、報告のため陸相官邸に向かう
畑中少佐
井田中佐
畑中、もういかん。
東部軍が起つ気配はない。
諦めて兵を退け。
このままでは東部軍との戦になるぞ。
一戦恐るるに足らずです。
背後には陛下もおられる。
バカを言え。師団長閣下の死が
伝わればすぐに指揮は崩壊する。
団結なくして何が戦だ。
232
芳賀連隊長の疑心
芳賀「いつまで経っても大臣も師団長も
    来られないではないか」
もうすぐ来ると思います
古賀、これ以上騙すことはできないと考え、
陸軍省軍務課
畑中健二少佐
近衛師団
古賀秀正少佐
師団長は死亡されました
233
発覚
芳賀「師団長閣下はなぜ死亡せられたのか」
畑中・古賀「……」
芳賀「まさか、君たちが師団長閣下を…?」
234
芳賀の離反
芳賀連隊長
「私を騙していたな。今後一切、君たちの
指導には従わん。これ以上反乱を続けたいなら、
私を殺してからにしろ」
⇒ 畑中・古賀はうなだれて黙っていた……
235
畑中の決意
畑中、芳賀連隊長に宮城から追い出され、
渋谷のNHKに向かう
陸軍省軍務課
畑中健二少佐
ラジオ放送で
決起を呼びかけるのだ
236
NHKスタジオ占拠
畑中、3人の部下を連れNHKへ
⇒館野守男アナウンサーに銃口を向け、
  「ニュースの時間に放送させよ」
⇒館野「警報発令中ですから、東部軍の
     許可がなければ放送できません」
237
東部軍、宮城に入る
田中司令官、兵を連れて近衛師団司令部に到着
貴様らに出された命令は偽物だ!
⇒ 近衛師団の兵ら、呆然東部軍司令官
田中静壹大将
238
石原検挙
 田中、不破参謀に「検挙せい」と指示
⇒石原参謀、拘束される
⇒古賀は検挙前に近衛師団司令部で自決
東部軍司令官
田中静壹大将
貴様らが今日行ったことは何というザマだ。
帝国軍人たる者は、聖断ひとたび下れば、
絶対にこれに従わなければならない。
貴様らの行為は反逆罪だ
239
解放
下村総裁とNHK幹部ら、ようやく解放される
          ⇒ NHK大橋会長、
             放送局占拠を知らされる
NHK会長
大橋八郎
240
御文庫では……
戸田侍従、助けを求めるため御文庫を出て
宮内省に向けて歩き始める
⇒向こう側から将官率いる軍人の集団が歩いてくる
将官「侍従長はいるか」
戸田「おりません」と嘘をつく
241
救援来る
将官「そうおろおろすることはない。私はこういう者だ」
 ⇒ 東部軍司令官・田中静壱大将と判明
無事に鎮めた。もう大丈夫だ
242
宮城解放
占拠部隊が原隊に復帰し、
将校クラスは逮捕される
※ 畑中・椎崎は宮城におらず逮捕できず
243
NHKスタジオの占拠終了
⇒ 諦めて放送局から退去
やるべきことはやった。
これまでだ。
陸軍省軍務課
畑中健二少佐
244
4-5 陸軍大臣の自決
※ 再現映像
245
井田、陸相官邸に到着
阿南は自決の準備を整えていた……
森が死んだことは聞いた。
東部軍が鎮圧に向かった以上、
反乱は失敗だ。
陸軍大臣
阿南惟幾
246
決意
阿南「玉音放送を聞くのは忍びない。
    放送前に死ぬこととする」
井田「私もお供いたします」
⇒ 阿南激怒し、「死ぬのは俺一人でいいんだ」
247
自決
阿南、井田の前で自決
自ら日本刀で腹を一文字に斬った後、
頸動脈を斬った
三船敏郎が演じる阿南惟幾
(映画「日本のいちばん長い日」より)
248
阿南の遺書
「一死をもって大罪を謝し奉る」
※ 現在、靖国神社の遊就館に展示中
249
大罪とは
阿南のいう「大罪」とは何だったのか
天皇が終戦を望んでいることを知りながら、
降伏に反対しつづけたことを詫びたのか?
⇒政治に干渉しアメリカを敵に回し、
 大戦争を起こして日本国民310万人を
 死なせた罪を、陸軍を代表して
 詫びたのではないか
250
阿南自決の影響
反乱軍・藤井政美陸軍大尉
「陸相自刃を聞き、喪失感に襲われた」
荒尾興功陸軍省軍事課長
「それまで激烈な戦争継続要請の電報が前線から
来ていたが、(阿南自決後は)ぴたりと止んだ」
⇒  阿南の死によって、陸軍軍人は
   日本の敗北を受け入れた
251
軍人の美学
「陸相は美しく散った。これ以上抵抗することは、
 陸相の死を汚すこととなる」
といった意識があったのではないか
252
阿南自決は早すぎたか?
「終戦処理が終わってから死ぬべきだったのでは」
「宮城占拠事件を鎮圧してからでも良かったのでは」
などの意見もある……
⇒ しかし、「阿南の死が軍人の暴発を防いだ」
  という意味では、このタイミングで死ぬことにこそ
  意味があったと言える
253
関係者の感想
気の毒なことをした
惜しい人だった
そうか、死んだか
阿南というのは、いい男だな
昭和天皇
東郷茂徳
米内光政
254
鈴木貫太郎の自伝
真に国を思う誠忠の人として
最後まで善処され、
陸軍部内の心中を思い、
自ら犠牲になられた人として、
誠に余は尊敬を禁じ得ない
立派な人物だと考えている
鈴木貫太郎自伝
255
4-6 玉音放送
256
横浜警備隊の反乱
佐々木武雄大尉率いる横浜警備隊100人
「国賊鈴木を殺せ」と大号令
⇒ 首相官邸を襲撃
257
襲撃隊、官邸から私邸へ
官邸職員「首相は本郷の私邸におります」
⇒ 佐々木ら、永田町から本郷に向かう
258
間一髪
鈴木首相、襲撃隊が来る10分前に妹宅に避難
⇒鈴木私邸、襲撃隊に放火され全焼
⇒消防隊、反乱軍を恐れて消火活動を行わず
259
妹宅にて
迫水書記官長、鈴木の妹宅を訪れる
よくぞご無事で
本日午後、総辞職するから
用意してほしい。
これからは老人の
出る幕ではないよ
内閣書記官長
迫水久常
総理大臣
鈴木貫太郎
260
8月15日正午
下村総裁、マイクの前に立つ
天皇陛下におかせられましては、
全国民に対し、かしこくも御自ら
大詔をのらせたもうことになりました。
これより謹みて玉音をお送り申します
情報局総裁
下村宏
261
玉音放送
「朕は時運のおもむくところ、耐えがたきを耐え、
忍びがたきを忍び、もって万世のために
太平を開かんと欲す」
玉音放送直後、皇居前でひれ伏す国民
262
畑中・椎崎の自決
玉音放送の最中・・・
畑中・椎崎は
皇居前広場で拳銃自殺
⇒ 宮城占拠事件は
   幕を閉じた……
陸軍省軍務課
椎崎二郎中佐
陸軍省軍務課
畑中健二少佐
263
田中静壱の自決
陸軍通信学校の生徒ら67名が、
鳩ヶ谷放送所を占拠
⇒田中司令官、現地入りして説得、解散させる
⇒その日の夜、拳銃で自決
※帝都を守護する立場にありながら、
  空襲から守れなかった責任を取った
8月24日
264
序章  降伏できない軍隊
第1章 ポツダム宣言
第2章 聖断
第3章 終戦の詔書
第4章 近衛師団の反乱
終章  8月15日の終戦なかりせば
終章 8月15日の終戦なかりせば
265
終戦の時期
8月15日の終戦は遅すぎた
しかし、原爆投下以前に
終戦のチャンスはなかった……
それどころか、8月15日の終戦さえ、
多くの困難の末に
どうにか辿り着いた難事業であった
266
もし終戦がもっと遅れていたら……
日本の戦後はより悲惨なものに
なっていたと考えられる
 1 本土決戦の被害 
 2 第三の原爆の可能性
 3 東西分断の危機
267
1 本土決戦の被害
  陸軍は国民に竹槍を持たせて
  戦わせようとしていた
  小中学校では竹槍を使った訓練も行われた
※  本土決戦の場合、民間人死者が何人
   発生したか見当もつかない
武器弾薬の不足
268
2 第三の原爆の可能性
アメリカは3発目の原爆を製造していた
⇒ 9月以降に投下することは可能だった
269
3 東西分断の危機
ソ連は北海道を欲していた……
⇒ ソ連を含めた本土決戦がなされていたら、
  戦後の日本は米ソによる分割占領
⇒ ドイツのように東西分断して
  独立していた可能性が高い
日本国(西日本): 自由主義陣営
日本民主共和国(東日本): 社会主義陣営
270
3 東西分断の危機
ソ連外相・モロトフ
「日本占領は、アメリカとソ連の
2人の司令官によって行いたい」
駐ソアメリカ大使・ハリマン
「とんでもない。我がアメリカは4年間も戦っている。
2日しか戦っていないソ連になぜ統治権の半分を
渡さなければならないのか」
8月10日
271
3 東西分断の危機
8月16日
日本本土を半分に分ける
提案は撤回するが、北海
道の北半分を統治したい
ソ連首相
スターリン
アメリカ大統領
トルーマン
日本占領の司令官は
マッカーサー1人と
決定済みである。
272
3 東西分断の危機
米ソ2国の分割統治のみならず、
米英中ソ4ヶ国による分割統治も計画されていた
273
8月15日の終戦なかりせば
その後の復興や高度経済成長はなかった
274
「3つの病理」再考
⇒ 鈴木内閣は、いかにしてこれを克服したのか
1 政府と軍部の権限関係
2 精神論の偏重
3 調整型かつボトムアップ型の意思決定
275
「病理」の克服
⇒ 鈴木は政府・軍部の両方の上に立つ
   天皇の権威を利用し、
「天皇による意思決定」を演出することで
   軍部の反対を押し切った
1 政府と軍部の権限関係
276
「病理」の克服
⇒ 阿南の自決が軍人魂を揺さぶり、
   多くの軍人が精神的に降伏を
   受け入れることができた
2 精神論の偏重
277
「病理」の克服
⇒ 阿南が陸軍全体を代表して
   強硬意見を主張することで、
   末端の軍人たちも
   「主張すべきは主張したのだから」
   と諦めることができた
3 調整型かつボトムアップ型の意思決定
278
終戦の教訓
⇒ シビリアンコントロールの徹底
  終戦のタイミングの意思決定に
  軍人を関わらせるべきではない
1 政府と軍部の権限関係
279
終戦の教訓
⇒ 軍人には、合理的な思考を
   養わせる必要がある
2 精神論の偏重
280
終戦の教訓
⇒ 権力の過度な分散は、
   決断を困難にする
3 調整型かつボトムアップ型の意思決定
281
終戦に貢献した鈴木内閣
  戦後日本の繁栄は、
  鈴木内閣の功績なくして語れない
⇒ もっと顧みられても良いのではないか
282
もう1つの教訓
戦争は、始めるよりも
終わらせることの方が難しい
283
8月14日正午から15日正午まで
24時間の出来事を克明に綴ったノンフィクション
半藤一利「日本のいちばん長い日」
文春文庫刊
本体590円+税
おすすめ度 ★★★★☆
書籍紹介
284
参考文献
○鈴木貫太郎関係
立石優「鈴木貫太郎」PHP文庫
小堀桂一郎「宰相鈴木貫太郎」文春文庫
半藤一利「聖断 天皇と鈴木貫太郎」文春文庫
鈴木貫太郎「鈴木貫太郎自伝」日本図書センター
○東郷茂徳関係
阿部牧郎「危機の外相 東郷茂徳」新潮文庫
東郷茂徳「時代の一面」中公文庫
○阿南惟幾関係
角田房子「一死、大罪を謝す」PHP文庫
阿部牧郎「大義に死す」祥伝社文庫
甲斐克彦「阿南惟幾の自決」光人社NF文庫
半藤一利「昭和を振り回した6人の男たち」小学館
○米内光政関係
阿川弘之「米内光政」新潮文庫
高木惣吉「米内光政覚書」光人社
松田十刻「海軍一軍人の生涯」光人社NF文庫
実松譲「米内光政正伝」光人社
○迫水久常関係
迫水久常「機関銃下の首相官邸」恒文社
○下村宏関係
坂本慎一「玉音放送をプロデュースした男」PHP社
下村海南「終戦秘録」講談社学術文庫
○昭和天皇関係
寺崎英成「昭和天皇独白録」文春文庫
古川隆久「昭和天皇」中公新書
松本健一「畏るべき昭和天皇」新潮文庫
○聖断・宮城事件関係
半藤一利「日本のいちばん長い日」文春文庫
飯尾憲士「自決」集英社文庫
安倍源基「昭和動乱の真相」中公文庫
加藤聖文「大日本帝国崩壊」中公新書
岩田正孝「雄誥」日本工業新聞社
若井敏明「平泉澄」ミネルヴァ書房
竹内修司「幻の終戦工作」文春新書
○帝国陸海軍関係
戸部良一「逆説の軍隊」中公文庫
半藤一利「昭和と日本人 失敗の本質」新講社
片山杜秀「未完のファシズム」新潮選書
纐纈厚「日本海軍の終戦工作」中公新書

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モヤLT_1945年7月~1945年8月:阿南惟幾と終戦の決断