先日ふと思い立って、久しぶりに図書館に行ってきました。私がいつも行くのは、その2階にある一般の図書室なのですが、1階には子供向けの「じどうとしょしつ」があります。今回の目的は、その児童図書です。
私は、毎日メールを書いたり、ブログの記事を書いたりして、たくさんの文章を書いているのですが、いったいその言葉はどこから出てくるのだろうかと、ふと不思議な疑問がわいてきました。いつも吐き出すばかりで、よくもなくならないものだなぁと。もちろん、毎日のように受信するメールの文章は目にしているし、他の人が書いたウェブサイトやブログの記事もたくさん読んでいます。そういうところから日々吸収しながら、少しずつ自分の言葉も変化しつつあるのは感じています。しかし、うまく説明はできないのですが、何となく、言葉から魂が抜けていくような感じです。
それではダメだと思いました。そこで、いったい自分の言葉のルーツはどこにあるのだろうかと、昔のことを思い返してみると、「児童図書」に行き着いたのです。
小学生のころはたくさんの本を読みました。小学校の図書館にある本を片っ端から借りて、毎日本ばかり読んでいました。たいていは1日で1冊を読み終わるほどのペースで、今の自分でも信じられないくらいの速さで読んでいました。もちろん、子供向けの本ですから、1冊の文章量も少ないものが多かったとは思いますが、そういうものでは物足りなくなって、「世界文学全集」みたいな分厚い本を借りてきては読んでいたような記憶があります。
ともかく、そのころ読んだ、子供にも理解できる文章というのが、今の私が書く文章の基本になっています。妙に気取って、難しい言葉や、呪文のような専門用語を羅列した、大学の教授の論文みたいな文章は書きたくありません。そんな文章では、人のこころに響かないような気がするのです。もっとも、私の学力レベルでは、論文のような難しい文章を書こうと思っても書けないのですが……。
加えて、小学生の当時、私のあだ名は「辞書人間」と呼ばれていたほど、私は辞書が大好きでした。はじめは小学生向けの「学習国語辞典」というような普通のサイズの辞書を使っていました。その辞書をめくり、ありとあらゆる言葉を調べまくりました。普段何気なく使っている言葉でも、意味を説明しろといわれると、意外に戸惑う言葉というのはよくあります。たとえば、子供のころなどは、「