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8.覇者・桓公の末路
- 1. 春秋篇 第 8 集
覇主斉桓(覇者・桓公の末路)
世継ぎ争いにかまけて死後 67 日も放置された結果、
蛆がわいて悲惨な姿になった斉桓公の死骸
- 2. 第8集 覇主斉桓(覇者・桓公の末路) -春秋篇-
―あらすじ―
BC 651 年、斉の桓公に葵丘に赴き諸侯達と同盟を結んだ。この時、周の襄王は宰孔を派遣。
葵丘の会盟で、諸侯の代表として壇上に上る桓公(背中)
上に小さく見えるのは、宰孔で、天子からの詔勅を読み
上げている。
この時の桓公は正に絶好調だった。
すると桓公は、宰孔に封禅(天地を祭る儀式)のやり方について尋ねた。覇者として得意の絶頂に
あった桓公は、不遜にも天子にしか許されないこの儀式を、自ら行おうと考えたからであった。
が、それを知った管仲は、言葉巧みにその非を説き、桓公はようやくそれを思いとどまった。
その 6 年後、管仲は重い病にかかった。心配した桓公は管仲の枕元に行き、後任者には誰がよ
いかと尋ねるが、管仲は黙って答えない。そこで桓公「鮑叔牙はどうか?」と水を向けると管仲曰
く:
「確かに鮑叔牙は立派な人物です。でも彼に国政を任せることは出来ません。なぜなら彼は正義感
が強すぎて、悪人に対して手厳しいからです。これは自分を律するには良いのですが、他人に当
たる場合は問題です。彼に国政を任せば、この性格があだになると思います」
病の床にある管仲(左)
に宰相の後任人事を相
談する桓公(右)
- 4. 管仲の棺 が載った車を
自ら引く桓公(中/黒服)
そこで桓公は、鮑叔牙に管仲の仕事(宰相職)を任せようとする。すると鮑叔牙は、
「開方、易牙、
竪刁の三人を宮廷から追い払って下さい。そうすれば宰相の仕事をお引き受けします」と言う。
だが、三人に未練のある桓公は「確かに管仲もその様なことを言っておった。しかし彼はただ三
人を政務に就かせぬようにと言っただけで、宮廷から追い出せとまでは言わなかったぞ」
すると鮑叔牙は「管仲は天下一の名相ですので、悪人を上手く操作できるのです。でも私はダ
メです」言う。そこで桓公はしぶしぶ三人を追い出すことを承知する。
しかし、年をとり我が強くなってきた桓公、易牙の美味しい料理を口にすることができず、ま
た竪刁や開方の甘い言葉を聞くことが出来ない状況に苛立ちを募らせる。
ちょうどその頃、桓公のもとに扁鵲という名医が現れる。扁鵲は桓公の顔色を見るや、病に犯
されていることを知り、桓公に治療を勧めるが、自分は健康体だと信じ込んでいる桓公は聞く耳
をもたない。ついに扁鵲もあきらめて去ってしまう。
そして傍らで控えていた鮑叔牙に桓公は言う 「ワシには病気などない。
: あるとすれば心の病だ。
鮑叔牙よ、あの三人を宮廷に呼びもどしてくれないか。そうすれば、ワシの病は完治するだろう」
それを聞いた鮑叔牙、怒って言う:「管仲の言葉をお忘れですか? あの三人を呼び戻せば、こ
の斉国が一体どうなるかお分かりにならないのですか!?」
売り言葉に買い言葉、桓公もこれを聞くと、カッとなり、ついに言ってしまった:
「斉はワシの
国だ。お前につべこべ言われる筋合いはない!」
愕然とする鮑叔牙、しかし、彼は震える手で冠を外す(宰相を辞職するという意味)。
- 5. 長年かぶり慣れた
冠を外し、うつろ
な表情でじっと見
つめる鮑叔牙
そして、重い足取りでその場を立ち去る。こうして桓公の周りにいた忠臣、名宰相は一人また一
人といなくなってしまうのだった
ところで桓公には夫人が 3 人、妾が 6 人いた。3 人の夫人は共に子がなかったが、妾にはそれ
ぞれ息子がいた。即ち:長衛姫には無詭、少衛姫には元、鄭姫には昭、葛嬴には潘、密姫には商
人、宋華子には雍であった。
彼らのなかで無詭が最年長であったが、桓公は賢い昭を後継ぎにしたいと考え、宋の襄公に昭
の後見を頼んでいた。ところが、易牙や竪刁は長衛姫と組んで無詭を世継ぎにする計画を立てて
おり、一方、開方は潘を世継ぎにしようと考えていた。
そして扁鵲の予言どおり桓公が病に伏すと、たちまち易牙、竪刁、開方を巻き込んだ公子同士
の世継ぎ争いが起こり、権力を握った易牙と竪刁は、桓公のお付の者達を宮廷から追い出し、
「桓
公様は今、誰ともお会いしたくないそうだ」とのデマをまき散らした。そして桓公の寝室の周り
に高い塀を築いて外部との接触を遮断、無詭を斉侯に立てるため、桓公が死ぬのをひたすら待っ
た。
こうして桓公の周りには誰もいなくなり、桓公は飢えと渇きに苛まれ、ついに餓死する。
- 6. 桓公の最期を看取ったのは、なんと
ネズミ達(手の下/右手前)だった。
桓公が亡くなったことを知った竪刁はさすがに葬儀を行おうとするが、易牙が「無詭様を即位さ
せずに葬儀を行ったら、斉侯の位を他の公子に奪われてしまうぞ」と言ったため、葬儀は後回し
にされることになった。そして二人は無詭を即位させたが、他の公子達は承知せず、それぞれ宮
殿の一角を拠点に戦いをはじめた。また易牙たちに命を狙われた本来の世継ぎである昭は、難を
避けるために宋に出奔する。
そうこうする内に、桓公が亡くなってから 67 日の歳月が流れた。斉の大夫・高虎は、いつまで
経っても桓公の葬儀がなされないことに憤慨、ついに宮廷に乗り込み、争いあう公子達を叱りつ
け、共に桓公の寝室に向った。
桓公の遺体を取り囲む高い塀
を取り壊させた高虎(中央)と
公子達、変わり果てた桓公の姿
を見て唖然とする。